【本】文は一行目から書かなくていい

なかなか文章を書けなくて悩みます。しかしこの本のタイトルを見たとき、そうかどこからでも書いていいのかと気づきました。

1.なぜ書けないか

「書けない」が「書くこと」の第一歩(まえがきより)

「書くこと」は恥じらうこと(まえがきより)

そうか。「書けない」と思っている私は、もう「書くこと」をはじめているんだ。そもそも世の中には「書けない」とも思わない人もいるだろうし。それでもやはり書けない私は、恥じらいがあるのか。

2.文章力をどう磨くか

文章力を磨くには毎日書くことです。まとまった文章を書く余裕がなければ、毎日一行か二行の手書きでもいい。(第4章より)

ただし、いくつかの守りたいルールはあります。まず単語の羅列ではなく、文章で日記を書くということです。(第4章より)

もう一つは、感情が動いたことについて書くということです。自分の気持ちが動いた事柄やエピソードを記しておけば、それらを後で作品に活かすこともできます。 (第4章より)

 著者の藤原さんは、行動記録に近いものを毎日書くとのこと。その中で感情が動いたことも書く。それを20年やっていると言います。

それを聞いて、私も手書きの日記帳で日記を始めました。まずは朝から夜までの行動を書く。行動は事実なので書くことは難しくありません。その行動から、ひとつ何か自分の感情の動きを書くようにしました。

しかし感情の動きについて、はじめはなかなか書けません。なぜかというと、手帳に書く前に頭の中で考えて言葉を選んだり、ストーリーを整理しようとしているのです。それに気づいてから、思うままに書いてみました。頭の中に浮かんだ言葉を片っ端書くのです。するとどんどん書けます。思考はあちこち飛ぶので、まとまった文章とは言えません。それでもこういうことを考えているんだ、ということ見えてきます。

それからさらに、どうしてそう思ったんだろう?と深掘りして考えて、言葉にしていきます。すると書く前には見えていなかった自分の感情や思考が見えてきます。そうか書くとはこういうことかと気づいたのです

 3.どこを目指すか?

感覚や思いを文章化して、それを読んだ誰かが共感を示したら、表現として成功といっていい。(第1章より)

マジョリティではない思いや感覚も、言葉や文章を介すことによって顕在化され、普遍化されて残っていくことがあります。書き手にとっては、そこが究極のゴールの一つになるのでしょう。(第1章より)

 私はどういう状態になると、「書けた」と言えるのでしょうか。感情や思考を言葉で表現され、さらに秩序的に整理され、あるモヤモヤが晴れ、腑に落ちたとき、書けたと思えるようです。つまりその状態は、一番はじめの共感者が現れた状態でしょう。

一人目の共感者から発信されたことが、誰かを共感させ、これからの未来に残っていく。このよう、私は書くことで生きた証を残せるといいなと思っています。

まとめ

私はこの本おかげで、書くとはこういうことかと気づき、経験することができ、今もこうしてブログを書いています。この本に感謝です。

文章を書きたいと思っているけど、一文字も書けない方には特におすすめです(^ ^)