【本】嫌われる勇気(岸見一郎、古賀史健)_①他者貢献は周りを仲間と思えることが大事
自己受容、他者貢献、他者信頼について、昨日は学びました。
今週は、アドラー心理学を物語形式でまとめた『嫌われる勇気』でもう少し深掘りしてみます。
今日は他者貢献について。
他者貢献は、自己犠牲ではない
他者貢献とは、「わたし」を捨てて誰かに尽くすことではなく、むしろ「わたし」の価値を実感するためにこそ、なされるものなのです。(p.238)
誰かのために何かをしたいと思っても、自分を犠牲にしてすることではないのです。相手を助けたつもりになっても、自分の体調を壊したり、自分のたくさんのお金を使って破産しては、他者貢献とは言えないのですね。
他者貢献は、周りを仲間と思えることが大事
どうしてここで貢献感が持てるのか?これは家族のことを「仲間」だと思えているからです。そうでなければ、どうしたって「なぜわたしだけが?」「なぜみんな手伝ってくれないのか?」という発想になってしまします。
他者を「敵」だと見なしたままおこなう貢献は、もしかすると偽善につながるのかもしれません。(p.241)
本書では、一人で皿洗いしている状況で、なぜ一人で皿洗いをしなければならないのか?の疑問に答えています。皿洗いが他者貢献と思えるには、他者を仲間と認識しているかなんですね。
例えば、一人で残業している場合、どう思うでしょうか?私であれば、その仕事をやり遂げたいという気持ちで乗り切ることも多々ありますが、「なんで私だけ」と感じる時もあります。そんなときは、同じプロジェクトの人たちを仲間と思えているかが大事なんですね。社内の人だけでなく、お客さんや取引先なども含めて。
仲間も大変な思いをして仕事をしているときがあります。そう思えば、いまのこの仕事は私ができることであり、やりきることで同じプロジェクトをやる仲間へ貢献することができると思えるような気がします。
そしてやりきった私も、新しい知識や経験を身につけ成長し、私自身の価値を実感することができるのです。これは自己受容につながってきます。
まとめ
昨日は他者貢献を、生きているだけで他者貢献であると学びました。
今日は仕事場における他者貢献を考えてみました。やらされていると思ったら、それは誰のためなのか、その人を仲間と思えるか考えてみると良いですね。
こうして心理学を自分ゴトとして捉えるとより理解が深まります。